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LINE@でお客様と直接やり取り

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クーポンも作ってみた。

 

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こんな風に個別にやり取りできる。

 

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反応もよし。
ありがとうございます。

公式LINE@よろしくね。

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生徒のブログを読んで気持ちをまとめようとしている

ブログを読んだときに書いたもの。

生きづらさと救いと未明の方舟/1
http://ryed.jugem.jp/?eid=20

わわわ私のことが書いてある。明日改めてブログに投稿する。私も「実感出来ない生きづらさ」を30代前半まで持っていて、小さい頃から何でこんなに人と接するのが辛いんだろうとずっと疑問だった。分からないまま人に合わせて生きていたら病気になった。声も出なくて歩けなくて目を開けると天井が落ちてきて病院に行った。その頃の5年くらいの記憶はほとんど無い。寝たきりだったと思う。ずいぶん落ち着いた今から振り返るとそれは生きづらさだったのかもしれない。でも一言では表せない。大阪に来て、精神を病んでいる人にたくさん会った。写真を撮っていたり、モデルをしていたり、絵を描いていたり、人前に出て、病気のことも隠さず話していた。地元ではそういうのは隠して生きるのが当たり前だった。言いたいことはこっそりとmixiで書いていた。夫はその頃の友達。病気ですよと伝えても、会いたいと言って実家まで会いに来てくれた。そんな人が何人も居た。薬いっぱい飲んで会いに行っても普通にお茶してくれる人が居た。途中で体調崩したら休ませてくれた。そんな流れでいつの間にかここに居る。大阪に来て一人で出歩けるようになるまでは夫がいつも一緒に練習してくれた。地下鉄も人混みの街も。がんばって生きてたのね、と実感したのはまだ最近のこと。がんばって生きるってどういうことだ。ほっといても心臓は勝手に動くのに。働けるかもしれないと思い始めた頃に職業訓練校の存在を知って、お金を得るためにカラーセラピーを始めた。体が動くようになったら死のうと考えていたのが嘘みたい。社会に出るのはまだまだ怖い。人との接し方も探っている最中。…長い長い。あとは明日。自分を出していきたいね。

お金を得るために、とは書いたけど「働くこと」=「人と接すること、社会に馴染むこと」
ずーっと社会に出る方法を考えてた。こんな働き方があるのね!と資格も学歴も社会経験も何にも無くても出来るハンドメイド作家やカラーセラピストは救いだった。

引きこもりでも出来る雑貨作家から外に出て人に会うカラーセラピストへ。少しずつ目標を叶えてる。

カラーセラピストの仕事は社会と繋がれる手段。感情を使わずに出来る仕事。物事を客観的に色んな角度から見れる。30代の半ばにやっと社会に出て働けるようになった。たとえ週一回でも奇跡のようなのに、まだまだ足りないと責める自分も居る。社会、人の輪、校庭で遊ぶ皆の輪に溶け込みたい。

カラーセラピストとして歩き始めた生徒のブログ。私の名前があって、驚いて、自分の過去を振り返る深夜。ありがとう。出会えてよかった。私も救われてる。講座を受けた生徒たちがカラーセラピー以外のことを得て進んで行くのがとても嬉しい。

とても時間は掛かったけど外に出れた。30年近く殺していた気持ちを出せるようになった。家から外に出て生きていけることを知った。動けるようになったら死のうなんて今は思わない。がんばって生きようとも思わない。声が出る。体が動く。天井は落ちてこない。人と話せる。

言いたいことをうまく言葉に出来ない時や伝え方が分からない時、誰かに聴いて欲しいけど友達や家族は意見を言ってきたりもしかしたら傷つくかもしれないから言えない、そんな行き場所の無い言葉や気持ちを話せる場所でありたい。カラーセラピーをする基盤となってる思い。

 

”私が、カラーセラピーの師匠である阿部さん(HP)に出会ったのは、自分の初個展を控えた、とんでもなくしんどい時期でした。
DMに惹かれて、この人の展示は絶対に見に行きたい、とずるずる足を引き摺り、展示に向かいました。
セルフポートレートの展示です、カラーセラピーをやっている、などということは知りませんでした。
まず、カラーセラピーというものを知りませんでした。
その展示で阿部さんに簡単なカラーセラピーをしてもらい、こんな方法があるのか!と知ることができました。
その後、自分がカラーセラピーを習うようになるなんて、思ってもみなかったわけですが…

私にとって、カラーセラピーに出会った、(阿部さんから)習った、ということはとても大きな救いだったのです。
「話す」「聴く」その二つを学べた、ということは大きいです。
前にもどこかに書いたことがありますが、カラーセラピーを習うことによって、「話を聴く」ということも「話してもいいんだ」っていうことを知ることができたのです。

学生の頃の私は、話してもいいんだっていうことを本当に知りませんでした。
それで自分で自分を生きづらく持って行ってしまっていたところがあります。
それが原因で周りに当たり散らして、迷惑もかけてきました。
本当に生きづらかった。思い出したくないというより、思い出せないのです。

でも、この、しんどい中、わたしが阿部さんの個展に行かなかったら。カラーセラピーに出会うことはなかったでしょう。母校で授業をすることもなかったでしょう。
その当時の私はしんどくてどこにも居場所がないように感じていたからギャラリーをぐるぐるしていたわけです。
無駄じゃなかったんだよ、って今なら言えます。”

生きづらさと救いと未明の方舟/1
http://ryed.jugem.jp/?eid=20

 

死ななくてよかった。個展開いてよかった。無理やりにでも職業訓練校通ってよかった。カラーセラピストになってよかった。
今までの私を全部肯定できる。死にたかったわけじゃない。
ありがとう。

2011年10月5日~9日
阿部、初めての個展「彼女の口癖」
展示の様子⇒http://dope.onmitsu.jp/photo/011ka.html
展示中の様子をもっと撮っておけば、とすこし後悔。笑
阿部個展

 

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生徒のブログを読んで過去の私を思い出した、そして今

生徒のブログを読み、あれやこれやと記憶は遡り、果ては4歳に行き着く。

生きづらさと救いと未明の方舟/1
http://ryed.jugem.jp/?eid=20

 

カラーセラピーや講座や生徒への思いをまとめて書こうと試みるも幼い私が隣で「生きててよかったね」と泣く。どうしてもまとめられない。感情の羅列でしかない。感情が先立ってまたポエムになる。それでも記さずにはいられない。目に見える形で、誰かの目に触れる形で残しておきたい。こんな働き方があることを5年前の私は知らなかったから。10年前も20年前も知らなかったから。生まれてからずっと知らなかったから。会社に属して働くことが当たり前だと思ってたから。人と接するのが苦手で、社会に出られない、それでも働きたい。働きたいのに働けない人はとても多いと思う。「甘え」だと言われても仕方ない。努力が足りないと思われてもいい。だけど、自分に合う生き方や働き方を探していたわけじゃないんだ。どんな仕事でも、どんな人のなかでも働きたかった。うつの症状も軽くなり、外にも出られるようになった頃、工場で製品を検査するパートの仕事に就いた。他人と同じ空間に居ることが苦しかった。理由は分からない。他のパートの方に話しかけられてもうわべだけの愛想笑いしか出来なくて会話の仕方が分からなかった。話せていたけど、話してなかった。どんな言葉を使えばいいのか混乱して、混乱を気づかれないために笑った。お昼ご飯を食べる時間が一番苦痛だった。今でも思い出すと苦しい。一人で何も話さず食べたかったけど、話しかけられる。聴くのは得意だったけど自分のことは何も話せなかった。母親が作ってくれたほんの少しのお弁当もほとんど食べられず帰宅後は部屋にこもって毎日泣いた。声を上げると家族が心配するので、お風呂でシャワー浴びながら声をあげて泣いていた。泣いても泣いてもなにも解決しなかった。人の輪にうまく入れない自分を呪い殺したかった。目標だった半年を待たずに辞めた。体がついてこなくなっていた。
思い出せる限りの記憶では、4歳から言いたいことを我慢してきた。保育所に行くのが怖かった。一番言いたかったことを言えずにいた。些細なことだったからこそ、笑って済ませられるかそんなことで行けないなんてと怒られると思ってた。それに、こんな小さい子どもが細かいこと考えてるなんて知られたら周りの大人たちは困ると思ってた。なにより、母親の泣き顔を見たくなかった。保育所に行かなかった日は、言えない気持ちをノートに書いていた。どこで覚えたのか分からない文字と絵で気持ちを書いていた。いまもそのノートは捨てずに段ボールに仕舞ってある。行くことは義務じゃなかったのになんで行かなきゃいけないのか、もし今だったら「なんで保育所に行かなきゃいけないの?」とまっすぐに訊ける。それさえ訊いてはいけないと思ってた。
ある日「言いたいことは言わず、周りに合わせていこう」と決めた。大人になればここから出て言いたいことを言える場所に行けるのだと希望を抱いて母親に保育所に行くことを宣言した。記憶なので曖昧。けど、宣言した言葉ははっきり覚えてる。「偉い人のおはなし聴いたで保育所行く!」
それが5歳になる前だったと思う。ちょうど年中さんに上がる頃。病院やお寺を母と周っていたのかな、「偉い人」のことは全然覚えてない。宣言してからはずっと周りに合わせて生きてきた。小学校や中学校、高校は勉強するためだったので我慢して行けた。ときどきは行きたくないとごねたり原因不明の体調不良で休んだりしたけど。はっきりした登校拒否はしなかったように思う。
高校卒業して進学。待ち望んだ大人。自由。一人暮らし。自然に友達もできていくなかで、輪の中で会話をしようとした。何を言いたいのか分からなくなっていた。自分がどんな人間なのかも分からなかった。1対1だとまだラクだったけど三人以上で居ると私は消えたかった。何を話せばいいのか混乱していた。社会福祉士になりたくて勉強だけは頑張った。社会的に弱い立場の人の役に立つ仕事をしたい。はっきりした意志はこれだけだった。たぶん、自分を救いたかったんだろう。弱い私を自分で救いたかったんだろう。自分の言葉も持たないのに。
どうしたら人と話せるんだろう。このままでは社会に出れない。会社に溶け込めない。もし就職出来ても自分の言葉を持たない私が何を出来るんだろう。言葉を持ったとしても外に出す方法が分からない。ましてや社会福祉士なんて務まるわけがない。人に合わせて生き続けてきたせいか、自分が消えていた。私なんて居ても居なくてもいい存在だと考えるようになっていた。
なにもかもがどうでもよくなって、死にたい気持ちがどんどん湧いてきた。おかしいと思った。このままでは狂うと焦った。焦れば焦るほど、感覚が鈍くなっていった。何かを触っても温度も手触りも感じなかったり、シャワーの温度も感じなくなって水だかお湯だか分からなかった。なにを食べても口のなかでもごもごするだけで味が無くなっていた。そうするうちに動悸や眩暈に襲われて、息が出来なくなった。これで死ねるんだと安心した。おかしいと思った。一人で死んだら家族や友達を困らせると思った。必死で息を吸って吐くをゆっくり繰り返してなんとか治まった。治まるとまた死にたい気持ちが湧いてきた。これは鬱だと自分で判断して実家に思い切って電話した。病気だから治そうと思った。そのあとから5年くらいの記憶がところどころしか無い。どうやって実家に帰れたんだろう。電車には一人で乗ったんだろうか。友達にはなんて言ったんだろう。

勢いに任せてものすごく端折って殴り書いているので、繋がりも文章もおかしいけどこのまま続ける。

んでね、家で寝てた。死にたい気持ちはどんどん強くなってて、体が動くようになったら死のうとそれだけを考えてた。ほかのことはまったく考えられなかったし感じなかった。起き上れるようになってテレビを見ても何をしゃべっているのか認識できなかった。日本語が分からなかった。家族が話す言葉もほとんど理解できなかった。ひどい状態が続いてた。と思う。ぼんやりした記憶。
覚えてるのは、うちの家系にはそんな遺伝子は無いと言われたこと。
心の風邪だから薬で治ると言われたこと。
病院代を少しでも減らしたら父も母もらくかな、と思って役所に公費負担制度の申請に行ったら
すぐに母にバレて、妹が結婚するまでは周りに知られてはいけないと言われたこと。

病気になって家に帰っても、本当の気持ちは隠し続けなきゃいけなかった。
死にたい気持ちも言わなかった。
そういえば、病院のカウンセラーにも本当の気持ちは言えなかった。
傾聴型のカウンセリングだった。
カウンセラーからの質問は一番最初のカウンセリング日の家族構成や家族との関係性だけ。
あとは、週に何回何分間通いたいですか?とか来週は来ますか?とか。
行っても、最近どうですか?と訊かれるだけで、答え方が分からなくてずっと黙ってた。
「なんで何も訊かないんですか?」と質問すると
なんで何も訊かないのかと思ってるんですね、と返された。そういうやり方だった。
黙ってる間に時間が過ぎて、次回の予約はどうしますか?と訊かれるだけ。
ここでも話したいことは話せないんだ、とがっかりしてカウンセリングは辞めて診察だけに切り替えた。

その後、合う薬も見つかって症状が安定した頃に趣味だったことでお金を得ることが出来た。映像から情報を得ることはまだ困難だったけど、文章なら読めるまで回復してた。インターネットをすれば、もしかしたら日本以外で働く場所が見つかるかもしれないと思って、なんで日本以外だと考えたのかも思い出せないのだけど、一人で部屋にこもって世界のニュースも知らずにいることも嫌だったし、死にたくならない方法が見つかるかもしれないと思っていた。がんばって生きていた。
言葉が通じなくても、働ける場所が欲しかったんだ、きっと。

言葉に出来ない気持ちがたくさんある。
誰にも言えない気持ちもたくさんある。

こんなに長く書いたのに、書きたいことの半分も書けてない。
でも言いたいことは言えてる。

パソコンで知らない人に病気のことを話したり、趣味を共有するうちにやっと自分が見えてきた。
相変わらず人との会話の仕方は分からなかったけど、言いたいことを言っても受け入れてくれる人たちと出会えた。たくさんの人に会った。会いに来てくれたり、会いに行ったりした。
結婚した。突然だけど、結婚した。ここまで長かったんだよ、でも長すぎて書ききれない。
実家を出て、言いたいことを言い合える人と生活して、大阪でもインターネットで知り合った人と会って
そんな時に、友達の一人が参加していた写真展に一緒に行くことになった。そこで何故か打ち上げにも参加させていただいて、自分を撮っていることを伝えたらギャラリーオーナーに展示してみたらどうですかと言われた。オーナーとはmixiで出会っていて、私の写真を知ってくれていた。偶然にもセルフポートレイト展という企画展が間近だった。展示のことが全く分からなかった私にオーナーも周りの友達も丁寧に教えてくれた。
写真を外に出すことによって、それがきっかけで会話が成り立つことを学んだ。
人に会いたくて話したくて何度か展示に参加した。自然に友達が増えていった。なんでも言える友達。
個展を開いたのは、セルフポートレイト展で参加したギャラリー。

話してもいいことを話せなかった私は今はいない。
それどころか、言ってはいけないことまで言えちゃうくらい自由奔放になった。
たぶんもともと自由奔放なんだ。自分で押さえつけてただけ。

最近よく目にするようになった「生きづらさ」だったのかな、と今から考えると当てはまるかもしれない。
でも一言で言い表せない。生きづらいとは思ってなかった。死にたかったり、生きたかったり、その時の感情はさまざまだ。
幼い私は、生きててよかったねと泣いてる。

 

やっぱまとまらないね。このへんにしとく。
生徒の書いてくれたブログに関してはもう一つ記事を上げる。

2011年10月5日~9日
阿部、初めての個展「彼女の口癖」
展示の様子⇒http://dope.onmitsu.jp/photo/011ka.html
阿部個展